こちょこちょ研究部

第5章弱点を学習するAI

8,097字約13分で読めます2026年10月29日
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朝の九時ちょうどに、非常階段から、こつこつとヒールの音がした。

一段ずつ、正確に。きのう聞いたばかりの足音だった。

鉄の扉が開いて、鶴見さんが入ってきた。黒いスーツ、銀縁の眼鏡、首からストップウォッチ。きのうと、何も変わらない。ほつれていた髪も、きっちりまとめ直されていた。

鶴見さんは、ちゃぶ台の前まで来ると、一枚の紙を差し出した。

「品質保証部の、正式な書面です」

部長が受け取って、眼鏡をずらして読んだ。私も、横からのぞきこんだ。

ニギワラ、ワラエール改、発売を認める。一番下に、品質保証部長の、朱色の印。その上に、一行。

『本許可は、あとから取り消さない。』

ちゃんと、書いてある。

「九時ちょうどですね」

透子さんが、壁の時計を見て言った。

「九時までに、と言いましたので」

鶴見さんは、眼鏡を指で押し上げた。耳が、ほんの少し赤かった。

「よかったねえ」

部長がにこにこしながら、湯のみを置いた。鶴見さんは、今日はすぐに座布団に座って、お茶に口をつけた。

「ただし」

湯のみを置いて、鶴見さんは、いつもの事務的な声に戻った。

「発売が決まっても、売れなければ同じことです。来期の予算は、来月の展示会での注文の数で決まります。ニギワラも、ワラエール改も、いい製品ですが、目玉にはなりません」

閉鎖は、まだ、消えていなかった。

部長は「そうだねえ」と、のんびりお茶をすすった。

鶴見さんは、それから、ちゃぶ台の横のパイプ椅子に移った。

「本日は、見学させていただきます」

「見学」

「品質保証部として、今後の試作品を、事前に把握しておく必要がありますので」

そう言いながら、鶴見さんの目は、棚の試作品を一つずつ、そわそわと追いかけていた。協力的になった、というより、気になって仕方がないらしい。


「今日の試作品は、こちらです」

透子さんが、布をかけた箱を、机の上にのせた。

布を取ると、出てきたのは、円柱の形をしたスピーカーだった。水筒を太くしたくらいの大きさで、白くてつるりとしている。てっぺんに、丸いカメラのレンズがひとつ。

ここまでは、普通の、しゃべるスピーカーだ。

普通じゃないのは、胴体のまわりから、細いアームが六本、生えていることだった。それぞれの先に、綿棒くらいの、やわらかそうな先端がついている。六本が、ゆらゆらと、水の中の海藻みたいに揺れていた。

「くすぐりロボ『ケラ』です」

「ケラ」

「笑い声の、けらけら、からです」

名前は、かわいい。

「カメラとマイクで、相手の反応を見ながら、どこをどうくすぐると一番笑うかを、自分で学習します」

透子さんの目が、きらきらしていた。

「日向さんの、これまでの全データを、読みこんであります」

「……全データ」

「配属初日の脇腹から、きのうのお腹まで。全部です」

私の弱点が、全部、この白い筒の中に入っている。

背中が、すうっと冷たくなった。

そのとき、ケラのてっぺんのレンズが、くるりと回った。

「部屋を、確認します」

女の人の、やわらかい声だった。

レンズが、部屋の中をゆっくりと見回す。棚。チェア。ちゃぶ台。部長。そして、パイプ椅子のところで、止まった。

「反応の大きい人物を、検出しました」

六本のアームが、いっせいに、鶴見さんのほうを向いた。

鶴見さんは、表情を変えなかった。

表情を変えないまま、パイプ椅子ごと、すうっと一メートル後ろへ下がった。

「……見学ですので」

部長が、お茶を吹きそうになっていた。

「止め方を、説明します」

透子さんが、ケラの向きを私のほうに戻した。

「『ケラ、止まって』と、最後まで言えば止まります。途中で切れると、ほかの言葉と区別できないので」

「言うだけ、ですか」

「言うだけです」

ボタンもない。バーもない。安全基準もない。言うだけ。

配属初日のボタンは、三センチ届かなかった。手袋の日の「ストップ」は、笑いで崩れた。でも、「ケラ、止まって」なら、たったの六文字だ。

今日は、ちゃんと止められる。

「それと、モニターを改良しました」

透子さんが、壁のモニターを指さした。右上の目盛りが、いつもとちがう。

「これまで、範囲外が何度も出たので。笑い指数の上限を、二百まで測れるようにしました」

「……測らなくて、いいです」

「範囲外の先が、ずっと見たかったので」

透子さんは、とてもうれしそうだった。

「まずは、学習の練習です。手を、机の上に置いてください」


右手を、机の上に置いた。

ケラのアームが一本、すうっと伸びてきた。綿棒みたいな先端が、私の人差し指と中指の間に、するりと入りこむ。

「ひゃっ」

指と指の間の、薄くてやわらかい皮膚。そこを、先端が、つうっとなぞった。

「学習中です」

ケラが言った。

先端が、中指と薬指の間に移る。指の付け根の、水かきみたいになっているところを、くるくると回る。

「ふっ……! くふっ……」

思わず、指を閉じた。ぎゅっと。

閉じたのに、先端は、指の隙間にもぐりこんだまま、細かく震え続けた。閉じたせいで、むしろ逃げ場がなくなった。

「く、くふふっ、んふっ、ふふふっ……!」

『笑い指数 34』

「人差し指と中指の間、反応、中。中指と薬指の間、反応、中」

ケラが、淡々と読み上げていく。アームが、もう一本増えた。二本の先端が、左右から、一つの隙間をはさむようにくすぐる。

「ふふっ、くふっ、ちょ、二本はっ、ふふふふっ!」

「薬指と小指の間」

先端が、一番端の隙間に入った。

そこだけ、なぜか、ほかのどこよりもくすぐったかった。小指の付け根から、腕の内側を通って、肘のほうまで、ぞわぞわっと鳥肌が駆けのぼる。

「ひゃはっ! あはっ、そこっ、そこはっ、あははっ!」

「反応、大」

ケラが、少しだけ、うれしそうな声で言った気がした。

二本のアームが、薬指と小指の間に集まってくる。一本が付け根をくるくる、もう一本が指の側面を、つうっと上下に。

「あははははっ、ひゃっ、だめっ、そこばっかりっ、あはははははっ!」

『笑い指数 52』

だめだ。止める。

今日は、言えば止まる。

私は、一回、思いきり息を吸った。唇をぎゅっと結んで、笑いを、喉の奥に押しこんだ。

「ケラ、止まって」

アームが、ぴたりと止まった。

すうっと、先端が指の間から抜けていく。

止まった。

ちゃんと、止まった。

右手を胸に抱えて、私は、はあっと息を吐いた。指の間が、まだじんじんしている。

「音声認識、問題ありません」

透子さんが、満足そうにタブレットを見た。

「笑う前に、言えばいいんですね」

「はい。最後まで、はっきり言えれば」

私は、うなずいた。

笑う前に、言えばいい。

このときは、それで済むと思っていた。


「比較用に、私のデータも取ります」

透子さんが、タブレットを操作した。ケラのレンズが、くるりと透子さんのほうを向く。

「対象を、千石透子に切り替えます」

透子さんは、白衣の袖をまくって、机に手を置いた。ケラのアームが、指の間に入る。手のひらをなでる。それから透子さんが少しかがむと、首筋、腋の下と、順に先端が触れていった。

さっき、私が五十二まで行った、薬指と小指の間。そこを二本で攻められても、透子さんは、眉ひとつ動かさなかった。

『笑い指数 1』

ケラのアームが、しばらく、透子さんのまわりを迷うように動いた。それから、止まった。

「対象:くすぐったさを、検出できません」

モニターに、同じ文字が出た。

透子さんは、その一行を、少しだけ長く見ていた。

ほんの、二、三秒。いつもなら、すぐに次のデータの話を始める人なのに。

その横顔が、なんだか、気になった。

「懐かしいなあ」

ちゃぶ台のほうから、部長の声がした。

振り向くと、部長が、棚の一番奥から、古い大学ノートを引っぱり出していた。表紙が茶色く日焼けして、角が丸くなっている。

「僕も昔、似たようなものを作ったんだよ。ほら」

部長がノートを開くと、鉛筆で描いた人形の絵があった。丸い顔に、短い手足。両手の先が、ふさふさした筆のようになっている。

鶴見さんが、パイプ椅子から身を乗り出した。

「これ……『コチョ太郎』じゃありませんか」

「おや、知ってる?」

「子どものころ、家にありました。三十年前に、大ヒットした……」

鶴見さんが、部長の顔と、ノートの絵を、何度も見比べた。

「あの『コチョ太郎』を、部長が?」

「若かったからねえ」

部長は、にこにこしながら、お茶をすすった。

知らなかった。毎日お茶を淹れているだけの人だと、少しだけ思っていた。ごめんなさい、部長。

「では、本命の、全身の弱点マップです」

透子さんが、タブレットから顔を上げた。

「これまでのデータから、日向さんの弱点を、ケラに予測させます。全身なので、計測用のウェアに着替えてください。それと、素足で」

手袋の日の、あの紺色の袖のないウェアだ。

「なお、素肌での計測なので、手当は一回、五千円です」

五千円。

それに、今日は「止まって」と言えば止まる。

「着替えてきます」

部長が「お茶、淹れなおしてくるね」と給湯室へ立つのと同時に、私は更衣室へ行った。

ウェアに着替えて、ストッキングも脱いで、はだしでチェアに座る。ケラが、私の正面の机に置かれた。六本のアームが、ゆらゆらと、私のほうを向いている。

「止め方は、さっきと同じです」

「ケラ、止まって、ですね」

さっき、ちゃんと止まった。大丈夫。

「開始します」


「これまでのデータから、弱点を予測します」

ケラが言った。

アームが一本、すうっと伸びてきて、私の首筋に触れた。うなじの、髪の生えぎわ。

「ひゃっ!」

手袋の日の羽毛を、体が覚えていた。触れられた瞬間、肩が勝手に跳ねあがった。

「予測、的中」

モニターに、人の形をした図が映った。その首のところに、赤い点がひとつ、ともる。

次のアームが、腰のくびれの少し上に触れた。

「くふっ……!」

配属初日の、ワラエール。

「予測、的中」

赤い点が、二つになった。

アームが、一本ずつ、順番に確かめていく。袖ぐりから、腋の下に。

「ひゃははっ!」

膝の裏に。

「んふふっ!」

足の裏の、土踏まずに。

「ひゃっ、あはっ!」

ウェアの上から、わき腹に。

「くっ、ふふふっ!」

「予測、的中。予測、的中。予測、的中」

どこを触られても、前に笑わされた日のことを、体が覚えていた。触れられる前から、そこがくすぐったくなってくる。アームの先が近づいてくるのが見えただけで、もう笑いそうになる。

モニターの人の形が、赤い点で埋まっていく。

「きれいなマップです」

透子さんが、うっとりと言った。

きれいじゃない。それは、私の恥ずかしい場所の一覧だ。

「組み合わせを、学習します」

ケラの声が、少しだけ、変わった気がした。

二本のアームが、同時に動いた。一本は、右の腋の下に。一本は、左の足の裏に。

「ひゃはっ、あはははっ、ちょっ、ふたつはっ、あははははっ!」

腋の下を、先端がくるくると回る。同時に、土踏まずを、つうっと縦になぞる。上と下から、ちがうくすぐったさが来て、体のどっちを守ればいいのかわからない。

「首筋と、わき腹」

組み合わせが変わる。うなじを、ふわっ。わき腹を、つんつん。

「くひゃっ、ひゃははっ、ふふふっ、あはははっ!」

「膝の裏と、腋の下」

「ひーっ、ひゃははははっ、あははっ、あはははははっ!」

『笑い指数 71』

だめ。止める。

今のうちに。笑い指数が、これ以上上がる前に。

私は、息を吸った。

「ケラっ、とま」

そこで、腋の下のアームが、くるりと一回転した。

「──っはははははははっ! あはっ、ひゃははははっ!」

残りの「って」が、笑い声に変わった。

ケラは、何も言わなかった。何も止まらなかった。

最後まで言わないと、止まらない。

もう一回。

「ケラっ、と」

足の裏。

「ひゃっははははははっ!」

「ケラ」

首筋。

「くひゃははははっ、あははははははっ!」

言おうとするたびに、どこかが、くすぐられた。口が開いた瞬間に、そこから笑い声が飛び出していって、ことばが、どこかへ消えてしまう。

「ケラ」までは、言える。何回でも言える。

その先の、「止まって」が、出てこない。

「最適な組み合わせを、発見しました」

ケラが、言った。

「右の腋の下と、左の足の裏。反応、最大」

二本のアームが、そこに集まってきた。そこだけじゃない。残りの四本も、その二か所に寄ってくる。右の腋の下に三本。左の足の裏に三本。

「あははははははっ、ひゃははははっ、だめっ、そのっ、くみあわせはっ、あっははははははははっ!」

腋の下を、三本の先端が、くるくる、つんつん、つうっと、別々の動きでくすぐる。足の裏を、三本が、かかとから指の付け根まで、波みたいに順番になで上げていく。

腕を下ろして、腋の下を守りたい。でも、ウェアに袖がないから、どこを押さえても先端が入ってくる。足を引っこめたい。でも、引っこめた先にもアームがついてくる。

『笑い指数 84』

「ひゃーっはははははっ、あっはははははははっ、とうこさんっ、とめてっ、とめてくださいっ、あはははははははっ!」

透子さんのほうを見た。

透子さんは、タブレットを見ていた。

「タブレットには、止める機能がありません」

「えっ、あはっ、ひゃははははっ、なんでっ、あはははははっ!」

「ケラはスピーカーなので、操作は、すべて声です。止める権限は、日向さんに全部あずけてあります。そのほうが、安心だと思ったので」

あずけないでほしかった。

その権限、今、ぜんぜん使えないんですけど。

『笑い指数 89』

一度、息を止めた。

笑い声を、全部、喉の奥に押しこんだ。顔を、ぎゅっと真顔にした。一気に言う。六文字。たったの、六文字。

「ケラとま」

そこで、わき腹に、四本目のアームが来た。

「──ひゃあぁっはははははははっ、あーっはははははははっ、あとっ、ふたもじっ、だったのにっ、あっはははははははははははっ!」

あと二文字が、果てしなく遠かった。

『笑い指数 95』

「ひゃははははははっ、けらっ、けらぁっ、あっははははははははっ、けらってばぁっ、きゃーっははははははははっ!」

「ケラ」と呼ぶたびに、ケラのレンズが、ちらっとこっちを見た。呼ばれたのは、わかっているらしい。でも、その先がないから、何もしない。

ただ、くすぐるだけだ。

『笑い指数 99』

『笑い指数 100』

いつもなら、ここで「計測範囲外」が出る。

出なかった。数字が、そのまま、三けたになった。

「百を超えました」

透子さんが、モニターを見ながら言った。

「上限を上げておいて、よかったです」

よくない。

「ひゃーっはっはっはっはっはっはっはっ、あーっははははははははっ、けらっ、とっ、とっ、きゃははははははははははははっ!」

『笑い指数 108』

「新しい弱点を、探します」

ケラが言った。

一番効く場所が、もうわかっているのに、まだ探すらしい。

アームが一本、腋の下から離れて、肘の内側に来た。腕の、曲がるところの、やわらかいくぼみ。先端が、そこを、くるっと一周した。

「ひゃはっ、そこもっ、そこもなのっ、あっははははははははっ、ひゃーっははははははっ!」

「肘の内側、反応、大。マップに追加します」

モニターの人の形に、赤い点が、またひとつ増えた。

次は、耳の後ろ。それから、足の指と指の間。前哨戦で見つけた「指の間」を、今度は足でも試している。

「くひゃははははっ、あしのっ、ゆびはっ、ずるいっ、あーっはっはっはっはっはっ、きゃはははははははははっ!」

足の指を、ぎゅっと丸めた。丸めた隙間に、先端がもぐりこんでくる。手のときと、同じだ。閉じれば閉じるほど、逃げ場がなくなる。

『笑い指数 124』

「赤い点が、どんどん増えていきますね」

透子さんの声が、なんだか楽しそうだった。

マップの人の形は、もう、半分くらい赤くなっていた。

「ケラっ、ひゃはははははっ、ケラぁっ、とっ、あっははははははははっ、とまっ、ひゃーっははははははははははっ!」

まだ、言えない。

「とま」の先に行こうとするたびに、ケラは、ちょうどその瞬間に、一番効く場所をつつく。わざとなのか、偶然なのか、わからない。わからないけれど、四回に四回、そうなる。

『笑い指数 141』

「組み合わせを、更新します」

ケラの声と同時に、六本が、いっせいに位置を変えた。

右の腋の下。左の足の裏。わき腹。肘の内側。足の指の間。うなじ。

六か所、同時。

「──ひゃあぁっはははははははははっ、あーっはっはっはっはっはっはっはっ、ぜんぶっ、ぜんぶはっ、むりっ、むりですってばぁっ、きゃーっははははははははははははっ、あっはははははははははははははっ!」

体じゅうの、くすぐったいところに、いっぺんに火がついたみたいだった。どこかを守ろうとすると、守っていないところが、もっとくすぐったくなる。腕を下ろせば肘の内側に先端が入るし、足を丸めれば指の間に入る。首をすくめれば、うなじの先端が、すくめた肩と首の隙間で、ふるふる震える。

『笑い指数 163』

「百六十を、超えました」

透子さんが、タブレットに、すごい速さで何かを打ちこんでいる。

「日向さん。今、これまでで一番、データが取れています」

「あっははははははははっ、うれしくなっ、うれしくないですっ、ひゃーっはははははははははははっ、あーっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」

『笑い指数 177』

パイプ椅子のほうを、ちらっと見た。

鶴見さんが、両手で、自分のわき腹をぎゅっと押さえて、こっちを見ていた。

「あっはははははははははっ、つるみさんっ、みてないでっ、あーっはははははははははははっ、きゃははははははははははははっ!」

鶴見さんは、目をそらした。わき腹は、押さえたままだった。

『笑い指数 189』

「ひゃーっはっはっはっはっはっはっはっはっ、あーっはははははははははははっ、けらっ、けらぁっ、きゃーっははははははははははははっ、あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」

『笑い指数 196』

『笑い指数 200』

そして、モニターが、ぱっと赤くなった。

『計測範囲外』

「……二百でも、範囲外です」

透子さんが、ほんの少しだけ、目を見開いた。

「次は、上限を五百にします」

しないでほしい。

「ひゃあぁっはははははははははははっ、あーっはっはっはっはっはっはっはっはっ、ごひゃくはっ、やめてっ、くださっ、きゃーっははははははははははははははっ、あっはははははははははははははははっ!」

ぴろん、と、間の抜けた音がした。

「充電が、残りわずかです。学習を、休止します」

しゅるしゅる、と、六本のアームが、胴体の中へ引っこんでいった。

私は、チェアの上で、天井を見上げた。腋の下も、足の裏も、まだ勝手にぴくぴくしている。


しばらく、何もしゃべれなかった。正確には、しゃべると、まだ笑いが出てきそうだった。

「ケラ、止まって」

ためしに、小さな声で言ってみた。

もう止まっているケラのレンズが、ちらっと、こっちを見た。

今なら、こんなに簡単に言えるのに。さっきは、何十回呼んでも、一度も最後まで言えなかった。

部長が、私の前に湯のみを置いてくれた。それから、あのノートの、最後のページを開いて見せてくれた。

古い、鉛筆の字だった。

『人は、笑っている人を見て、笑う』

「コチョ太郎が売れた理由はね、それだけだったんだよ。子どもが笑うと、それを見て、お父さんもお母さんも笑うんだ」

部長は、にこにこしていた。

透子さんが、私の後ろから、そのページをのぞきこんでいた。

透子さんは、その一行を、じっと見ていた。さっき、ケラの「検出できません」を見ていたときと、同じ顔だった。

鶴見さんが、パイプ椅子から立ち上がった。スーツの裾を、きちんと整える。

「来月の展示会に、こちょ研の枠を、一つ取ってあります」

みんなが、鶴見さんを見た。

「品質保証部の推薦枠です。目玉が出せるなら、ですが」

それだけ言うと、鶴見さんは、こつ、こつ、と階段を上っていった。わき腹を、片手でさすりながら。

その日の夕方、透子さんの試験報告書が回ってきた。

所見の欄には、こう書いてあった。

『AIは、被験者の弱点を五十二か所、学習した。笑い指数は、上限の二百を超えた。開発者の弱点は、ゼロか所だった。被験者は計測中に「ケラ」と四十一回呼んだ。「止まって」まで言えたのは、前哨戦の一回だけだった。』