ラベンデル冒険譚

第5章笑いの泉

7,762字約13分で読めます2026年10月27日
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三日間、考えた。

それから、私はギルドの扉を開けて、カウンターに、まっすぐ歩いていった。

「ハンナさん。話があるの」

ハンナさんは、依頼書の束から顔を上げた。私の顔を見て、後ろのミレイの顔を見て、それから、ゆっくりと依頼書を置いた。

「……備品の話かい」

「備品の話と、泉の話と、ハンナさんの話」

出張所の中には、他に誰もいなかった。ハンナさんは立ち上がって、入り口の札を「休憩中」に裏返した。

「座りな。長くなる」


ハンナさんは、昔、冒険者だった。

それも、かなり腕のいい冒険者だったらしい。若いころにこの町に流れついて、森の奥で、ある泉を見つけた。

「笑いの泉。町の年寄りが昔話にするやつさ。あれはね、本当にあるんだよ」

ずっと昔、この土地が、悲しいことで沈みきっていた時代があった。笑う人が誰もいなくなった町に、一人の魔女がやってきて、森の奥に泉を作った。人を笑わせるための泉を。

泉は、人の笑い声を糧にして湧く。泉の魔力を浴びた森の魔物たちは、人間を笑わせたいという本能を持つようになる。だから、この辺りの魔物は、くすぐりはしても、本気で人を傷つけない。

「で、泉には、守り人がいる。泉の様子を見て、町に笑い声が絶えないようにする役目さ。先代から、あたしが継いだ」

「……ハンナさんが」

「似合わないだろ」

ハンナさんは笑った。今度は、ぎこちなくなかった。

「ところが、ここ何年か、泉の水が減ってきた。町が静かになって、笑い声が減ったんだ。泉が弱ると、森の魔力が薄くなる。腹を空かせた魔物が、人里に出てくる。幽霊屋敷も、温室のツタも、峠の狐も、みんなそうさ」

「じゃあ、私たちにくすぐり系の依頼ばっかり回してたのは」

「あんたたちが、いちばんいい声で笑うからだよ」

それは褒め言葉なのか。

「それと、もうひとつ」ハンナさんは、私とミレイを交互に見た。「あたしも、いい年でね。後継ぎを探してたんだ。泉を任せられる、笑い声の大きいやつを」

ハンナさんは、カウンターの下から、古い地図を一枚取り出した。森の奥に、赤い丸がひとつ、描いてある。

「泉は今、ほとんど涸れかけてる。たぶん、ひとりの守り人の力じゃ、もう戻せない」

それから、ハンナさんは、頭を下げた。

豪快なハンナさんが、カウンターの向こうで、深く頭を下げていた。

「頼む。森の奥へ、行ってほしい」

私は、ミレイと顔を見合わせた。

ミレイは、少しだけ、困ったように笑った。それから、うなずいた。

「報酬は?」と私は聞いた。

ハンナさんが、顔を上げて、目を丸くした。それから、腹の底から、豪快に笑った。

「泉がよみがえったら、あたしの給料から、家賃三か月分」

「受ける」


出発の朝、ひつじ亭の前には、思ってもいなかった顔ぶれが集まっていた。

まず、峠の九尾の狐。月一のおにぎりの配達日でもないのに、銀色のしっぽを揺らして、宿の前に座っていた。

「泉が弱れば、わしも腹が減る。森の道なら、わしのほうが詳しいぞ」

それから、エルダさん。麦わら帽子をかぶって、大きな籠をしょっている。

「泉の近くに、あの子の生まれたところがあるんです。一度、見てみたくて」

ミレイは、窓辺にあったツタの鉢を、両手で抱えていた。

「この子も、ふるさとに連れていってあげたいので」

ツタは、鉢の中で、葉っぱを全部、こっちに向けていた。私のほうに。

それから、幽霊屋敷に寄って、マーサさんに会った。幽霊は屋敷から離れられないらしい。マーサさんは残念そうに笑って、自分の紫のショールを、ふわりと私の肩にかけてくれた。

「泉に行くなら、持っていって。私の若いころの、お守りなの。泉で、たくさん笑ってらっしゃいね」

ショールは、幽霊のものなのに、ほんのりあたたかかった。

最後に、ギルドの前で、ハンナさんが待っていた。足もとに、見覚えのある木箱が置いてある。

「……ハンナさん、それ」

「うちの備品だよ。泉までの荷物持ちさ」

木箱のふたが、ぱかっと開いた。

「どうも、お嬢さん方。先日は、どうも」

羽毛ミミックだった。

ミレイが、すっと私の後ろに回った。

「……最終決戦ね」と私は言った。

「決戦じゃないよ」とハンナさんが言った。「笑いに行くんだ」


森は、奥に行くほど、静かになった。

鳥の声がしない。風の音もしない。木々の葉っぱは、色があせて、元気がない。足もとの草も、しおれている。

「泉が弱っておる証じゃ」と狐が言った。

どのくらい歩いただろう。古い石の道しるべを三つ過ぎたところで、茂みが、がさがさと揺れた。

白い、綿毛のかたまりが、ころころと転がり出てきた。

ひとつ、ふたつ、みっつ。たんぽぽの綿毛を、こぶしくらいの大きさに丸めたみたいな、小さな魔物たちだった。目も口もない。ただ、ふわふわと宙に浮いて、こっちをうかがっている。

「泉のそばに住む子らじゃ。腹を空かせて、弱っておる」

「くすぐってくる?」

「……くすぐってくるの」

綿毛たちが、一斉に飛んできた。

狙われたのは、私の手だった。

杖を握る、右の手のひら。綿毛がひとつ、手のひらにもぐりこんで、ふわふわと転がった。

「ひゃんっ!?」

手のひらの真ん中を、綿毛がくるくる回る。手のひらなんて、普段は物をつかむだけの場所なのに。そこを、ふわふわが、くすぐったい速さでころころ転がる。

思わず手を開いた。杖がからんと落ちた。

開いた手のひらに、綿毛が三つ、四つと飛びこんでくる。それから、指と指の間に、もぐりこんだ。

「ふふっ、ふはっ、ゆびっ、ゆびのあいだはっ……ちょっと、くふふふっ!」

指の股の、薄い皮膚のところを、綿毛がこしょこしょと通り抜けていく。人さし指と中指の間、中指と薬指の間。ひとつずつ、順番に、綿毛が指の間をくぐっていく。くぐられるたびに、指が勝手にぴくぴく跳ねる。手を握れば綿毛が手のひらの中で転がって、開けば指の間にもぐりこまれる。どっちも、くすぐったい。

左手にも来た。両手が、綿毛まみれになった。

「あははっ、ちょっ、りょうてっ、りょうてはずるいっ、きゃはははっ!」

手を振り回しても、綿毛はくっついて離れない。私は笑いながら、両手をぶんぶん振って、森の道を走った。走って、走って、綿毛たちが追いつけなくなるまで。

後ろから、ミレイが、私の杖を拾って、のんびりとついてくるのが見えた。

「リリアちゃん、泉はこっちですよ」

ミレイが指さしたのは、私が走ってきたのと、反対の方向だった。


泉は、森のいちばん奥の、岩に囲まれた小さな広場にあった。

岩をくりぬいた、丸い水盤。その底に、手のひらで掬えるくらいの水が、ほんの少しだけ残っていた。水面は動かない。湧いてくる気配もない。

そして、泉の後ろの岩壁に、絵が描いてあった。

色あせた、古い壁画だった。

真ん中に、とんがり帽子をかぶった女の人がいる。魔女だ。その魔女のまわりを、たくさんの人が囲んでいる。子ども、大人、おじいさん、おばあさん。羊や、狐や、鳥や、ふわふわした丸いものも描いてある。

そして、みんな、笑っていた。

魔女は、町の人たちにくすぐられて、お腹を抱えて、いちばん大きな口を開けて笑っていた。

「……魔女が、くすぐられてる」

「そうさ」

後ろから、ハンナさんの声がした。

「笑わせることだけ考えてたら、だめなんだよ。自分も笑わないと。泉を作った魔女は、そういう人だったって、先代から聞いた」

ハンナさんは、泉のふちにしゃがんで、涸れかけた水面を見つめた。

「この泉は、笑い声で湧く。だから、ここいっぱいに、笑い声を響かせれば、泉はよみがえる。……昔、先代とあたしがそうしたみたいに」

「ここいっぱいに、って」

私は、まわりを見回した。

狐が、九本のしっぽを、ゆらりと持ち上げていた。

エルダさんが抱えたツタの鉢から、ツタが、しゅるしゅると伸びはじめていた。泉の近くに来て、急に元気になったみたいだった。

ミミックが、ふたを、ぱかっと開けた。

さっきの綿毛たちが、ふわふわと追いついてきて、私の頭の上を、くるくる回っていた。

全員が、私を見ていた。

「……いちばんいい声で笑うのは、誰だったかな」とハンナさんが言った。

私は、深呼吸をした。

一回。二回。

それから、マーサさんのショールを、ぎゅっと握った。

「……いいわよ。やってやろうじゃない」


泉のほとりの、やわらかい苔の上に、私は仰向けに寝転がった。

両手を、頭の上に伸ばした。ブーツも脱いだ。逃げも隠れもしない。今日の私は、おとりじゃない。前衛でもない。

今日の私は、泉に笑い声を届けに来たのだ。

「では、ゆくぞ」

狐のしっぽが、まず、首筋に降りてきた。

九本のふさふさが、耳の後ろから、うなじから、あごの下から、首じゅうを包みこむ。峠で知ったあの感触が、いっぺんに戻ってきた。

「っ……ふっ、くふっ……」

ツタが、腰に巻きついた。脇腹に、産毛の葉っぱ。それから、先端が、肋骨を一段ずつのぼって、伸ばした腕の付け根の、脇の下へ。温室で知った、あのくるくる。

「ふふふっ……ふっ、ふぁ……っ」

ミミックの羽根が、素足の足の裏に。土踏まずを、すうっと。

「ひっ……!」

綿毛たちが、手のひらに、指の間に、それから、お腹の上に。服の上から、お腹の真ん中を、ふわふわと転がる。

それから、最後に。

背中に、見えない指が触れた気がした。背骨を、ひとつずつ数えるみたいに、とん、とん、と。

マーサさんのショールが、ふわりと揺れていた。

「……おばあちゃん?」

返事の代わりに、指先が、私の背中を、くすくすと笑うようにくすぐった。

首筋。脇の下。脇腹。背中。お腹。手のひら。足の裏。

今まで、ひとつずつくすぐられてきた全部の場所が、全部いっしょに、くすぐったかった。

そして、全員が、一斉に動きだした。

「——ぶわっはははははははははっ!! あーっはははははっ! ぜんぶっ、ぜんぶいっしょはっ、さすがにっ、きゃーーっははははははははっ!!」

笑い声が、森じゅうに響いた。

自分でもびっくりするくらい、大きな声だった。我慢なんて、最初からしなかった。お腹の底から、喉の奥から、体じゅうから、笑いがあふれて、止まらない。

しっぽが首を撫でる。ツタが脇の下でくるくる回る。羽根が足の裏を掃く。綿毛がお腹を転がる。見えない指が背中をくすぐる。どこに意識を向けても、そこがくすぐったい。どこにも意識を向けなくても、全部くすぐったい。

「ひゃーっはっはっはっ、あひゃっ、あひゃひゃひゃひゃっ! くびっ、わきっ、あしっ、おなかっ、ぜんぶっ、ぜんぶくすぐったいぃぃっ!」

体が苔の上で、跳ねる。転がる。のけぞる。手足が勝手にばたばた暴れる。でも、今日は逃げない。逃げないで、笑う。

泉の底で、こぽ、と小さな音がした。

水が、湧いた。

ほんの少しだけ。水盤の底から、透明な水が、ぷくぷくと泡を立てて湧き出してくる。

「いいぞ、リリア!」ハンナさんが叫んだ。「もっとだ!」

「も、もっとってぇぇっ!? これいじょうっ、ひーっ、ひーーっ、いひゃひゃひゃひゃっ!」

もっとだった。

狐のしっぽが、首から耳へ。ツタの先端が、二本、三本と、脇の下へ。ミミックの羽根が、足の指の間へ。綿毛が、おへそのまわりを、くるくるくるくる。

「ふぎゃーっはははははっ! むりむりむりむりっ、しぬっ、わらいしぬぅぅっ! しなないけどっ、しんじゃうぅぅっ!」

泉の水が、こぽこぽと、水盤の半分まで満ちた。

まわりの木々の葉っぱに、少しずつ、色が戻ってくる。しおれた草が、頭をもたげる。森のどこかで、鳥が一羽、鳴いた。

半分。あと、半分。

でも、そこで、水が止まった。

湧いてくる泡が、ぷく、ぷく、と小さくなって、消えた。

「……あれ?」

狐が、しっぽを止めた。ツタも、羽根も、綿毛も、止まった。私は苔の上で、ぜえぜえと胸を上下させながら、泉を見た。

半分のまま。それ以上、湧いてこない。

ハンナさんが、泉をのぞきこんで、首を振った。

「……足りないね。笑い声が、ひとり分」


「ひとり分、ですかな」

ミミックが、のんきな声で言った。

「それなら、ちょうどええのが、そこにおりますわな」

ミミックのふたが、ゆっくりと、ミレイのほうを向いた。

ミレイは、泉から少し離れた岩のそばに立っていた。祈祷書を胸に抱えて、いつもの微笑みを浮かべて。

その微笑みが、ぴしっと固まった。

「二年前のあの日、わしの箱に先に入ってきて、いちばん先に笑い転げてたのは、そっちの姉さんでしたからなあ」

森が、静まりかえった。

私は、苔の上で、ゆっくりと体を起こした。

「……ミレイ?」

ミレイは、黙っていた。

祈祷書を抱える腕に、ぎゅっと力が入っていた。微笑みは、まだ、顔に残っていた。でも、その微笑みは、今まで見たどの微笑みよりも、薄かった。

長い沈黙のあとで、ミレイは、小さく息を吐いた。

「……はい。そうです」

ミレイは、祈祷書を下ろした。

「二年前、私は、リリアちゃんより先に、あの箱に捕まりました。修行の途中で、ひとりでダンジョンに潜って。宝箱を見つけて、開けて」

ミレイの声は、静かだった。

「くすぐられて、祈りの言葉が一言も出なくて。必死で逃げ出して、通路の角で、ずっと息を整えていました。そうしたら、リリアちゃんの笑い声が聞こえてきて」

「……じゃあ、助けに来るのが遅かったのは」

「まだ、笑いが止まっていなかったんです」

ミレイは、困ったように笑った。

「祈りの言葉を唱えようとしても、さっきのくすぐったさを思い出すと、声が震えて。やっと唱えられるようになるまで、時間がかかりました。『楽しそうだったので』なんて、言い訳です。本当は、私も、リリアちゃんと同じくらい、くすぐったがりなんです」

私は、口を開けたまま、ミレイを見ていた。

「帰り道に、『詠唱できないときに守ってくれる人、いたほうがいいですよね』って言いましたよね」

「……うん」

「あれ、リリアちゃんのことだけじゃなかったんです。私も、守ってくれる人が、ほしかったんです」

二年分の、いろんな場面が、頭の中をぐるぐる回った。

幽霊屋敷の、マーサさんにつつかれた「ひゃいっ」。温室で、ツタから妙に素早く逃げたミレイ。峠で、狐のしっぽに崩れたミレイ。はじまりの洞窟で、箱を避けて歩いていたミレイ。震えていた、祈りの声。

「……今日は調子が悪かっただけ、って」

「調子が悪かったことは、一度もありません」

ミレイは、そこで、はじめて、まっすぐ私を見た。

「ごめんなさい、リリアちゃん。二年間、ずっと、言えませんでした」

私は、立ち上がった。

苔を踏んで、ミレイの前まで歩いていった。ミレイは、逃げなかった。

私は、ミレイの両手から祈祷書を取って、そっと岩の上に置いた。

それから、ミレイの脇腹に、両手を当てた。

「……リリアちゃん?」

「ひとり分、足りないんでしょ」

私は、にっこり笑った。たぶん、峠で見せたのと同じ、人生でいちばんいい笑顔だった。

「ミレイ。二年分、まとめて笑ってもらうから」


指を動かした。

「ひゃいっ!?」

ミレイの体が、跳ねた。

脇腹を、こちょこちょと。服の上から、肋骨の下の、やわらかいところを。私が幽霊屋敷で、さんざんくすぐられた場所を。

「り、リリアちゃっ、ま、待っ……ふっ、ふふっ、ふふふっ……」

ミレイの微笑みが、崩れはじめる。唇をきゅっと結ぶ。こらえる。でも、私は知っている。そのこらえ方を、私は二年間、自分でやってきた。どこでこらえきれなくなるかも、知っている。

狐のしっぽが、ふわりとミレイの首に回った。

「こたびは、遠慮はいらんのう」

「き、狐さんっ、ま、まって、ふふっ、ふぁっ……!」

ツタが、ミレイの手首に、やさしく巻きついた。両腕を、頭の上へ。エルダさんの「あら、この子、ミレイさんにもなついてたんですねえ」という、のんびりした声。

ミミックの羽根が、ミレイの膝の裏へ。綿毛たちが、ミレイの手のひらへ。

「あっ、だめっ、ぜんぶはっ、ぜんぶはだめですっ、ふふふっ、ふっ……ふぁっ……」

ミレイの声が、震えて、伸びて、裏返る。

私は、ミレイの脇腹を、両手で、思いきりくすぐった。

「——あっはははははははっ!! あはははっ、だめっ、だめですぅっ、りりあちゃっ、あーっはははははははっ!!」

ミレイが、笑った。

峠のときより、もっと大きな声で。上品さなんて、かけらもない。髪を振り乱して、涙を流して、お腹の底から、ミレイが笑っていた。

「ひゃっ、ひゃあっははははっ! そこっ、そこよわいんですっ、ずっとよわかったんですぅぅっ!」

「知ってた! なんとなく、知ってた!」

「うそですっ、あははっ、うそですぅぅっ、ひーっ、ひぃーっ!」

泉が、こぽこぽと音を立てた。

水が、湧き上がる。さっきよりずっと勢いよく。水盤の半分から、三分の二へ。

それから、ミレイが、ツタの間から、腕を一本だけ抜いた。

その手が、私の脇腹に伸びてきた。

「——りっ、リリアちゃんもっ、ですっ!」

「ひゃあっ!? ちょっ、ミレイっ、反撃はなしっ、なしでしょっ、あっはははははっ!」

「にねんぶんっ、ですっ、ふふあははははっ!」

「それっ、私のセリフぅぅっ! ひゃっはははははははっ!」

ミレイが私をくすぐって、私がミレイをくすぐった。二人とも、狐やツタや羽根や綿毛にくすぐられながら、苔の上に転がって、くすぐって、くすぐられて、笑った。

どっちの笑い声なのか、もうわからなかった。

二人分の笑い声が、ひとつに重なって、森じゅうに響いた。

泉が、あふれた。

水盤のふちを越えて、透明な水が、きらきらと広場に流れ出した。苔を濡らし、草を濡らし、木々の根もとへ、森の奥へ、流れていく。

色あせていた葉っぱが、いっせいに緑に戻った。鳥が、何羽も、何羽も鳴きはじめた。風が吹いて、森じゅうの木の葉が、さわさわと鳴った。

森が、笑っているみたいだった。

泉の後ろの壁画が、水しぶきに濡れて、少しだけ色を取り戻していた。くすぐられて笑う魔女の顔が、さっきより、ずっと楽しそうに見えた。


それからしばらく、私とミレイは、苔の上に並んで大の字になっていた。

息が、まだ整わない。お腹が痛い。顔が、涙と泉の水でびしょびしょだった。

隣で、ミレイが、ぜえぜえ言いながら、くすくす笑っていた。

「……ミレイ」

「……はい」

「さっきの、ほんと? ずっと弱かったって」

「……今日は、調子が悪かっただけです」

「うそつき」

「はい」

ミレイは、笑ったまま、そう答えた。

ハンナさんが、私たちの顔の上に、ぬっとのぞきこんできた。

「さて。守り人の後継ぎ、どうだい」

私とミレイは、顔を見合わせた。

二年間、くすぐられて、おとりにされて、笑い転げて。家賃に追われて、変な依頼ばかり受けて。

悪くなかった、と思う。

「家賃が払えるなら」

私とミレイは、同時に言った。

ハンナさんは、森じゅうに響くくらいの声で、豪快に笑った。


その夜、ひつじ亭で、女将さんがシチューを大盛りで出してくれた。家賃三か月分の前祝いだそうだ。

窓辺には、ツタの鉢が戻っている。泉の水をたっぷり吸って、葉っぱが倍に増えた。今夜も、全部の葉っぱを、こっちに向けている。

ベッドに入ってから、隣のベッドのミレイが言った。

「リリアちゃん」

「なに」

「今日のこと、なんですけど」

少しだけ、間があった。

「……今日は、調子が悪かっただけです」

私は、天井を見たまま答えた。

「知ってる」

暗い部屋の中で、二人で、くすくすと笑った。

たぶん、森の奥の泉に、ちょっとだけ届いたと思う。